主体美術協会とは

主体小史

創立までの記録 [1964年]

8月3日東京都鷺宮 福蔵院にて会合。
赤塚 徹、磯村敏之、岩織 治、上野 実、大野五郎、大村 連、賀川 孝、加藤 一、倉石 隆、小菅徳二、小谷博貞、小林良曹、 金野宏治、塩水流功、末松正樹、塚谷政義、手塚益雄、寺田政明、 渡ヶ敷唯信、豊田一男、中島保彦、中野 淳、西良三郎、根岸 正、 西村保史郎、秀島 任、深見公道、松井 豊、森 芳雄、八鍬四郎、 矢島甲子夫、柳沢安雄、吉井 忠、吉江新二(他四名、麻生三郎、 糸園和三郎、羽田重亮、森田良三)の38名で自由美術家協会退会を決意。
8月5日同志38名にて自由美術家協会退会を声明。
退会声明書。「このたび私たちは、自由美術家協会を連名で退会いたしました。私たちが長年愛情を持ちつづけて来た自由美術家協会も、ここ数年の間に戦後果たしてきた使命も修了してしまい、ここでは更に可能性を高めることは、期待出来ないと考えた……」
8月20日福蔵院にて今後の運営方針を検討、具体的運営に関して委員13名を選出
8月26日運営委員会を開き、連絡事務所を中島保彦方とし、上記34名で新団体結成の呼びかけを行うことに決定。この時点で新たに参加した同志39名。
荒木道夫、  石川歌子、稲葉 実、 奥冨 修、 小野絵麻、尾内健治、川合喜二郎、金井信一、菊地長市、小谷良徳、小林邦二、佐藤吉彦、島田由紀子、鈴木国稔、関 晴明、 関戸 伸、田中朝吉、田中彦次、奈良清四郎、土井 栄、 戸津勇作、 西山松久、司  修、 橋本 章、羽原智達、 浜田方一、濱 哲郎、 古木茂雄、古山保子、堀内菊二、細井憲摩、 前田孝造、松本忠義、 宮崎照雄、 森川ユキエ、八橋誠滋、山田光春、 山本新蔵、 脇坂憲治
準備責任者 中島保彦
9月5日新事務局責任者を吉江新二に決定。第1回展開催のための準備活動に入る。
事務局責任者吉江新二
9月26日・井沢元一、奥井章夫、紺野修司、瀬高政良、中村輝行、平野 遼、前川博人、與志崎朗の8名参加。
・会の趣旨及び会則を発表。
・会名「主体美術協会」に決定。代表者 森 芳雄。
・会出発当初、グループ展方式で質的に高い展覧会を続けていこうとする空気が強くあった。然し、現実には90人近い作家の発表の場として適当な会場を得ることは不可能に近いことから、結局は都美術館で公募展として再発足するしか術は無い───との結論に達し、都美術館獲得運動を展開していった。
代表者森 芳雄
10月7日主体美術協会発会レセプション(東京・厚生年金会館)。
12月3日東京都美術館より正式に使用許可の通知を受ける。
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